メール性悪論

(おことわり)他者の色々な意見を参考・比較するために掲載しますが、あくまで参考のためであり、批判・卑下の意図はありませんので、あしからず。



お久しぶりです。
ヒャダインのわーきゃーいわれたい、めっちゃ面白くないですか?


さてさて、今回はマルチメールについて記事を書きたいと思います。


著名なラジオ投稿者のバイブルには、以下のような趣旨の分が載っていました。


「パーソナリティーとの会話になっていないからマルチはダメ」

なるほど。確かに一理ある表現です。
つまり、メールはパーソナリティーとの会話になればいいわけです。
確かにそうですね。

でも、これってどうなんでしょう。
仮に、マルチメールを「同時期に同じ文面(内容)でメールを送ること、また、採用されたメールを再利用すること」だとしましょう。


別の人に同じ話をするのってごくごく普通じゃないですかね?

過去にした話を、他の人にしたことって、一回はありますよね?


そうなると、この会話説はおかしなものになってしまうんです。

同じような文面のメールを禁止するなら、新番組恒例の「あいさつはどうしますか?」や「リスナーは何と呼べばいいのでしょうか?」といった、職人のクソみたいな数稼ぎに使われるクソほどにも面白くないメールも、投稿者が変わっているとはいえ、禁止されてしかるべきなのです。

(とはいえ、「ラジオ独特の挨拶をするのが夢だった」というパーソナリティーもいるので、行為そのものを叩くのは禁物です。でも、本人がやりたいならメールなんかに促されなくても自発的に決めると思うんですけどどうなんでしょう?)

また、「同じ文面」という言葉の範疇も、人によって多様で、コピペした文面のことなのか、最終的な内容が違ければ可なのか、トピックそのものが違くないといけないのか、などと多様です。


私は皮肉で、「ケツ(の質問)だけ変えりゃあいい」と言っていますが、大方は、トピックは同じでも質問が違ければOKというような風潮にあるように感じます。

採用されたメールを他番組でも使ってはいけないのは、なぜなのでしょうか。ひと昔の天皇賞みたいな勝ち抜け制か何か?

これは分からなくはないんですね。例えば、年間で300通も読まれたりする人もいるわけですが、仮にその人が使いまわしをしていたら、その人と同じラジオを聞いてる人は、何回同じメールを聞くことになるのでしょう。


「クソおもしろくねえんじゃ!!!!!!!!殺すぞ!!!!!!!!!」

となってしまうのもわかる気がします。これはやめたほうがいいかもしれませんね。



「マルチ」というものは、九分九厘「少なくとも同時期に全く同じ文面のメールをたくさんの番組に送信することが含まれる」と考えるといいかと思います。


では、他はどうすれば?となるのが人というものですね。

これには、はっきりした基準がないんです。

これは、大げさに言えば宗教に似たものがあって、お互いの正義が別々に存在しているので、どうしようもないんです。

したがって、「お前の中ではな」とクールに無視を決め込むしかないのです。


まあ、要約すると「コピペはやめとけよ」ということです。論文も、メールもね。